30年のあゆみ

広尾自治会の誕生

新井・広尾地域は、昭和44年(1969年)の地下鉄東西線の東陽町~西船橋間の延伸工事の完成に伴い、徐々に人口の増加を見ていましたが、更に昭和56年(1981年)3月27日の南行徳駅の開業に伴い、急速に人口の増加を招いてきました。

昭和56年当時、広尾自治会は存在していません。自治会としては、新井1・2・3丁目及び広尾地域の住民を含め、新井自治会として単一の自治会として組織されていました。
しかし、自治会加入世帯の漸増に伴い、自治会業務の肥大化に対応するため、自治会業務の円滑化を求め、特に広尾地域住民の中から新井自治会からの分離独立論が台頭してきました。

広尾地域住民の中にもこの分離独立論に対し慎重意見を有する方々もいましたが、議論の結果、自治会組織の二分化申し入れにつき意見が纏まり、広尾地域住民代表として長 進氏により、広尾地域住民による自治会結成を目的とする分離独立案が提案されました。

新井自治会はこの申し入れにつき、慎重審議の結果、これを了承されました。
以降、長 進氏を軸として広尾自治会結成準備が進められた結果、昭和60年(1985年)4月1日を以って広尾自治会の誕生をみるに至ったのであります。

広尾自治会 揺籃期

斉藤友克会長の時代(1986年7月1日~1995年3月31日)、氏の特命により当時の理事の方々が、婦人部や老人会の立ち上げに関して、それぞれ情報収集活動を進め、その後の女性会員や高齢会員の活動展開に努力されていました。

広尾自治会婦人会の設立企画

昭和62年(1987年)4月、斉藤友克元会長より婦人部担当として谷川初江・三沢幸子の両理事が任命されました。
両理事による活動の結果、4年後の平成3年(1991年)2月11日は、合計47名の「婦人会(仮称)名簿」を作成するに至りました。

しかし、この後3ヶ年、婦人会結成企画は実現しないままに終わり、斉藤氏は任期満了により自治会長を退任されました。

高齢者クラブ 内匠会  結成

平成元年(1989年)4月、当時理事であった島崎重宏氏は、斉藤会長より「広尾シルバークラブ」結成の準備を呼び掛けられました。
無から有を作り出すのは大変難しく、具体的な設立準備に入ったのは翌年の平成2年(1990年)秋からでした。

発起人を命じられていた島崎氏は、シルバークラブ(老人会)の研究のため、各地の老人会を訪ね、活動状況・結成のノウハウ・行政との関係・老人会の会則・その他運営方法の細部まで学びました。
南行徳、行徳地区はもちろんですが、遠く江戸川区まで出かけて調査研究をしてきたとのことであります。
もちろんOB会担当理事の協力を頂きながら、各種情報の収集活動が進められていたことは言うまでもありません。

これらの活動の結果、広尾自治会は平成4年(1992年)秋には老人会組織『内匠会』の認可申請書類を市川市へ提出するに至りました。
そして、平成5年(1993年)3月、市川市から高齢者クラブ内匠会の結成認可の通知に接しました。

この結果、平成5年4月1日、足掛け5年の歳月を費やして、高齢者クラブ内匠会の誕生をみたのでした。

広尾自治会集会施設建設への歩み

広尾自治会発足以来30年、私たち自治会会員一同は、集会施設建設のため懸命な努力を重ねてきましたが、未だその目的を達成できないままです。
しかし、私たちは初期の目的達成のため、希望を持ち続け、今後とも努力を傾注していかねばなりません。

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